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「死んだ人に会えぬと嘆く日々と、生きているのに会えぬと嘆く日々、どちらがましだと思う?」
ある日突然、幸村に言われた言葉をくのいちは、時折思い出す。
昼なのにうっすらと月が見える。
そんな日だった。
月が見えるな、と言ったかと思えば、その同じ声音で、
「死んだ人に会えぬと嘆く日々と、生きているのに会えぬと嘆く日々、どちらがましだと思う?」
言われた時はあまりに唐突だったから「へ?」と間抜けな反応をしてしまったけれど、そもそもくのいちの反応など最初から求めていなかったらしい幸村は、続ける。
「生きているのか、死んでいるのか、分からないのが一番辛いのではないかと思って」
「いったいどうしたんです?」
「あるのに、ないものとされるようで昼の月は儚いな。夢幻のようだ」
「へ?」
なんでもない、とゆっくり瞼を閉じたかと思うと、いきなり立ち上がり、それからはいつもの幸村。
大坂の陣。徳川との戦い。信之との再会と離別。
幸村の心にいろいろな逡巡がめぐっているのだろう。
その時は、そう思って別段何も聞くことはしなかった。
けれど―――。
あの時の言葉、光景、空気の匂いまで妙に思い出されてしかたがないのは―――。
六文銭を握り締めて、ぼんやりすることが増えた信之を見かけるようになったから。
※
大坂での、あの戦いの後、あちこちぶらぶらしてたくのいちだけれど、信之に再会して。
今でも真田を家族と思ってくれるなら戻ってこないか?
忍びとしてもう一度仕えろとは言わない。ただそなたの家族だと思ってくれればいい。
そう言われて、「おかえり」と迎え入れられて。
その後、本当に家族のように、信之にも稲にも受け入れられて、松代に転封となった時は、秀忠との経緯のやりとりさえ稲と一緒に伝えられたりもした。
関ヶ原の折の、上田合戦にて秀忠が家康に逆心がありわざと手抜きをしていた。真田は秘密を共有しているから取り潰しにならない。
そんな噂はくのいちも耳にしたことがったが、なーに言ってるんだっと笑っていたが、当事者たちにはただ中傷では済まないようで、転封を命じられ、激怒した振りをしなければならない、と。
激怒とはほど遠い柔和な笑みで、ほんの少し楽しそうにしている信之に稲は、
「やはり、信之様はゆっくり休むことができないのでしょうか?」
とため息交じりに、心配に瞳を揺らしつつ、心底がっかりもしていて。
くのいちは、泰平の世となった今、夫と共にのんびり過ごす夢を抱いていたのだろうと思った。
くのいちはくのいちで「激怒ね~、激怒かー、信之様が激怒した振りかー、難しいなぁ」と資料とか焼却がいいかなとか提案しつつも、どこか楽しそうな信之に、
「なんだか楽しそうですね」
と言えば、
「真田昌幸の息子だからな、私も」
とにこりとされた。
植木も引っこ抜いていくか、といたずらを考える子供のように提案をする信之と、いたずらを共有する姉弟のように色々言い合い、稲をあきれさせた。
けれど、さすがにいざ城を出るとなったその時は寂しそうで。
稲から童歌が聞こえたかと思ったら突然信之が何かを追うように出て行ったと聞かされて、探しに行けば戻ってくる信之と行き当った。
何かに憑りつかれたような、感情のない顔をしていた。
口にでは「何でもない」と言うから詮索はしなかったけれど。
※
松代に移ってようやく落ち着きを覚えた頃。
くのいちは秘密裏に秀忠からの使いが来ていると聞かされ、信之を探していた。執務室にもいない。見当たらないから、と家臣に頼まれてその姿を探していると、
♪花のようなる秀頼様を 鬼のやうなる真田が連れて
童歌が聞こえた。
歌声を追っていけば、城下より少し遠い。
田畑が広がるそんな場所。
小さな川があって、その橋のたもとで農民の子供がそれを歌う様子を眺めている信之の姿。
くのいちも知っている童歌。
「松代までこの歌が・・・」
信之の隣に立ち、そう言えば、
「いや、このコらには私が教えた」
と信之が言う。
「え?」
「秀忠様も知っていたくらいだから、もっと遠くにも浸透してるのだろう」
「・・・」
「流したのはくのいちではないのか?」
「へ?」
真っ直ぐに信之に見つめられて、くのいちは首を振る。
本当に違うのだ。
この童歌を始めて聞いた時、続く「退きも退いたり加護島へ」のその場所まで行ったけれど、見つからなかった。くのいちは幸村に、信之に三文銭を渡すように言われたから、その最期を見届けていない。
だから、もしかしてという気持ちがくのいちをあちこちぶらぶらとさせた。
「そうか、違うのか。くのいちならばいいと思っていた」
「信之様?」
「私の元に来てくれた時から、どこかにいる幸村に様子を伝えているのではないかと、そんな夢想をしていたが」
「ごめんなさい。本当に違うんです」
「あの時・・・。幸村の三文銭はくのいちだろう?」
「はい、それは」
懐から取り出した六文銭を、信之はくのいちに見せる。
幸村と信之がずっと互いに持ちづつけていて、そして、今は離れ離れだった結びつきがひとつとなり、信之の手の中に。
「上田の最後の夜、幸村を見た」
「え?」
「あれは幸村だったと信じている」
「・・・生きているとお考えですか?」
「・・・死んでいると思っているか?」
問いを問いで返されて、くのいちは黙る。
子供たちの歌声だけが鼓膜を響かせていたけれど、ハッと思いだす。
「あ!使いが来てます!秀忠様の。ひみつで」
「そうか」
驚きも慌てもしない信之の様子に、ほんの少しの違和感。
来ることを知っていたようだ。それに気付いたのか、
「友と、秀忠様は私を言ってくれている」
とほほ笑む。
「幸村が家康様を追い詰めた時、仕合せたことも聞いた。」
「・・・はい」
「おそらく隠居されるのだろう。真田に恨みをはらして、満足されたということにされるのか」
話しながら小さな橋を渡ろうとした時。
「幸村に三文銭を渡したのは橋の上だった。上田の最後の日に、幸村を見たのも橋の上」
「・・・」
「まるで彼岸と此岸。私が六文銭を持っているから、あの世には渡れないと言っているのかもしれないな」
銭と銭がぶつかる音がした。手にしていた六文銭を、信之が強く握ったようだった。
蘇る幸村の言葉。
「生きているのか、死んでいるのか、分からないのが一番辛いのではないかと思って」
それから、六文銭をに手に、ぼんやりと何か物思いにふける信之の姿が増えた。
※
信之が言うように、秀忠は隠居をした。秘密裏にふたりは交流を続けていて、
「豊臣の落ち武者ですよ!!」
というくのいちに、信之は文を届けるように言ってきて、その行き来はふらりどこかに寄って、幸村を探してきてくれなどと言い、受け取った秀忠も
「信之が大丈夫というなら大丈夫なのだろう」
などと言っては、返事を託す。
いつも突然現れるくのいちにも慣れてしまう始末。
秀忠の信之への信頼に驚き、そしてなかば呆れつつ、関ヶ原の折、大阪の戦いでの折のいろいろを思えば、苦しくもなるけれど、泰平の世。
今となれば。
これはこれで、と納得せざるおえない。
ある時、秀忠がくのいちに、
「幸村は、生きているのだな。信之の中で」
「え?」
どのような文のやりとりはされているのかは、さすがに盗み見ないくのいちなので分からないが、秀忠に言われて、反応に困っていると、唇の端に秀忠は苦笑を浮かべて、
「信之が転封を言い出した時、それが泰平の屋台骨を崩すな、幸村の為にも、と言われた」
「幸村様の為にも・・・」
「信之の中には、いつまでも幸村が生きている」
「・・・仲の良いご兄弟でしたから」
「そうか。今回はどこぞに行く?」
「奥州などに」
「見つかればいいな、と言ってよい立場ではないが」
ふっと秀忠が笑う。
信之がくのいちに幸村を探してきてくれ、など言ってることも秀忠は知っている。
信之と秀忠。このふたりは―――くのいちは心の中で、首を振る。詮索はしない。
しかし「信之様は秀忠様にに幸村様のことを書いているのか」と思えば、その精神的なず太さに驚きもしてしまう。
※
松代に戻ったくのいちは、縁でひとり空を見上げている信之を見つけた。
「戻りました」
「いたか?」
「いたら連れて戻りますよ」
いつものやりとり。
何を見ているのかと思って、同じように空を見れば。
あの日のような昼間の月。
「月が見える。昼もいるのに普段は見えない。夢幻のようだな」
夢幻―――。
「同じことを以前、幸村様もおっしゃってました。昼の月は夢幻のようだと。あと」
「あと?」
「・・・、何か言ってたような。何だったかな?」
ん~、と腕を組んで思い出す仕草をすれば、信之が笑う。
その笑顔に、ちくり胸が針が刺さったような、痛みを感じつつ、言わないでいいと思った。
幸村様は―――。
もしかして、本当に信之が言ったように。
「まるで彼岸と此岸。私が六文銭を持っているから、あの世には渡れないと言っているのかもしれないな」
そうなっているのか?
どうやって仕組んだのだろう?
あの童歌の出所は、くのいちが調べても分からない。
上田で信之が見たという幸村の正体も、夢なのか何なのかも分からない。
「生きているのか、死んでいるのか、分からないのが一番辛いのではないかと思って」
という独り言のような言葉をあたしに聞かせて。
そして、三文銭をあたしに渡すように言ったのも、あたしを生かすことを考えて。
生き残ったあたしが信之様に会いに行くだろうことも想定してて。
くのいちは思う。
「…」
だとしたら、とんでもない策士だ。
六文銭を大切そうに手に握りしめながら、夢幻の月を眺める信之様に、
「辛いですか?」
問いかける。
「どうした、突然に?」
「生きているのか、死んでいるのか分からないのは辛いですか?」
「くのいち?」
幸村様は信之様に、そんな辛さを与えたかったのか?
夢幻の月のように、あるのかないのか分からない儚さで、信之の中で生きて、そして。
辛く、苦しめたいのか?
くのいちの問いかけに、信之はその頬に恍惚なまでの笑みを浮かべて、
「幸せだよ」
と六文銭を、ぎゅっと握りしめながらその胸に置く。
幸せ?
遠いものの輪郭を辿るように目を細めた信之の視線の先には、きっといるのだろう。幸村が。
「生きているのか、死んでいるのか。分からないのは辛い…、のかもしれないが、幸せだよ」
幸村への想いをいつまでも持っていられるからね、と信之は言う。
しばしの静寂。
夢幻の月が、信之を見ている。
くのいちも幸村、信之の兄弟以上の想いについては気付いていた。
「・・・幸村様は、捉えたのでしょうか?」
「・・・」
「信之様を、こうやって、信之様のお命がある限り捉えるつもりだったのでしょうか?」
信之は答えない。
ただただ面白そうに、そして、幸せそうな笑みをくのいちにくれる。
―――幸村様。
貴方が信之様に与えたいと願ったのは?
苦しみですか?
幸福ですか?
そして、それをあたしに見届けろというのですか?
童歌が聞こえる。
夢幻の月のした、聞こえる。
♪花のようなる秀頼様を 鬼のやうなる真田が連れて