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2024/11
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月のない星々のきらめきが、見事な夜。
茶々に使者を命じられ、京の武家屋敷に向かえば、そこには。
現れたのは---。

「久しいな、幸村」
「…兄上?!」

体調不良で先の戦にも参戦しなかったと聞いていた兄の姿に、緊張に頬が歪むのが分かった。
向かい合って座れば、犬伏で別れた時と同じような瞳で自分を見てくる兄から目をそらすように、

「ご無沙汰しております」

と頭を下げる。

「こうしてもう一度、兄上にお会いできるとは思いませんでした」

もう二度と会うことはないと思っていた。
もう会わない方が良いと思っていた。
いつかあの世で、または来世で、兄弟ではなく出会えたら・・・。
父が逝った夜。
一緒に持って行ってもらったつもりだった思い。兄への思慕。兄の私への思慕。
けれど。

「ああ」

と答えた兄の声を聞けば、胸が震える。顔をあげると、

「覚悟は変わらぬようだな」
「はい」

子供の頃から同じ。弟を見る優しい兄の目。その目が微かに憐みを持って揺れて、その懐に手を入れて、

「ならば、これを渡しておこう」
と差し出したのはあの三文銭。途端、

「無用に願います」

間髪入れず答えた。
そして、同じように懐から差し出して見せたのは三文銭。
兄が自分のそれを差し出すということは・・・。

「そうか」
「父上と私がため、兄上は一人、過酷な道をお選びくださった。申し訳ありません」

信之が差し出したままだった三文銭を見つめながら、

「…真田の覚悟、これにあり」

と握りしめると、立ち上がり、三文銭を渡された日のように拳を差し出すので、幸村も立ち上がり、そして。

「息災でな」

信之と幸村は拳を合わせる。
昔の思いなどなかったことのように、袂を分かった兄弟というだけの、思慕など知らんぷりの、上辺の会話を伴った今生の別れを告げ。
去っていこうとした兄の背に、もうあれから何年もたっているのだ、と言い聞かせる。
「売り言葉に買い言葉だ」と直政とのことを言われ、拒絶され、そのあと、あの犬伏での別れの日まで顔を合わせてもいつも通りの上辺だけの兄弟でいることができて。
兄が言った「兄弟でいるべきなのだ。お前は私の大切な弟だ。兄だけでいさせてくれ」の言葉に、知らぬ間に思いは褪せていて、思い出だけを追いかけて、ひとり恋をしていたのかもしれない。きっとそうであるのだ。
心に言い聞かせて、再度背に

「兄上」

と呼びかけてみれば、兄は足を止めた。
戸惑ったのだろう。たっぷりな時間をかけて、振り返えった兄と目が合えば。
その中にあったのは、互いの気持ちを知らんぷりさせながら兄弟として戯れていた頃のあのままの思いを宿したままの兄の瞳。
それを見つめ返せば、おそらく同じ目をしている自分の瞳を招き入れる兄。
ぴくりとひとつ呼吸する。
もう色褪せたと思っていた思いが、ぴくり呼吸をする。

「兄上・・・」

夜の闇に、兄の銀髪は鮮やかに浮かび上がり、その表情すらゆるやかに照らす。
色素の薄い肌と、瞳は闇でも嫌でも見えてしまう。

「兄上、私は」
「幸村」

ゆっくりと兄が戻ってくる。
廊の軋む音がやけに鮮明に耳に突く。
そして、やがて幸村の目の前で立ち止まると、子供の頃のように、そっと腕を差し出してきて、その中に幸村を閉じ込める。

「幸村、私はお前を兄としてだけではなくお前を愛していた。」

耳元で囁かれた言葉は、そんな言葉だった。

「私もです。そして、父上も気づいておりました」
「そうか」

そうなのか、と信之は言えば、あとは言葉はない。
ただ子供の頃のように互いのぬくもりを感じて、確かめて。
こうしていると分かる。なぜ一瞬でも色褪せたと思ったのだろう。子供に戻ってお互いを感じあい、耳元に感じる呼吸に、生きている音を感じる。
時を、命を、互いの思いを刻む音。

「兄上、私は」
「幸村、すまない」
「・・・何がですか?」

呼吸音に苦しそうな声が加わったかと思えば、ぬくもりも離れていく。

「兄上」
「お前だけを、お前だけを想っていたかった」
「え?」

---お前だけを、お前だけを想っていたかった?

「義姉上のことですか?」

信之が首を振るがすぐに「稲は大切に思っている」と。
「直政殿?」

ふっと苦笑を洩らした気配が兄からしたが、すぐにそれを打ち消すように首が振られる。
なら、

「その人といれば、お前を思い、お前といれば、その人を思う」

なんて男だ、私は。
ぽつり落とした信之の言葉の言葉尻が、重たげな憂いを含んで、ぽつり落ちる。
幸村は、兄の心に自分以外の人がいる事実に、目を閉じた。
色褪せていなかった思いが、呼吸を吹き返した思いに今、皮肉な色が覆いかぶさっていく。
唇に浮かんだのは冷笑。
それをぐっと拳で隠して、けれど、張り付いてしまったかのように幸村の唇に、それは染み込んだ。

「息災でいてくれ」

兄が再度、その言葉を言う。
そして、そのまま踵を返すと振り返ることもなく、未練などないような足取りで行ってしまう。
兄から何か音がした気がした。
けれど、きっと気のせい。
その音はきっと、懐の自分の三文銭。兄と自分を繋ぐ、三文銭。
その三文銭を兄は私に渡そうとした。
つまり、三途の川を渡れということ、か?
唇から笑いが洩れる。乾いた笑いが洩れる。

「命を捨てることが真田の心意地ではない。兄上がそうおっしゃいましたね」

今宵、月が見えない。星だけがある。
暗影の闇が、空を、自身を覆う。暗影に取り囲まれる。
父の言葉を思い出す。

「死んだ人に会えぬと嘆く日々と、生きているのに会えぬと嘆く日々、どちらがましだと思う?」

どちらを兄上に与えましょう?



 ※

会えたのか?

京の武家屋敷から出て、すぐに声をかけられ信之は、声の主に驚きよりも、まなじりに呆れを滲ませて、相手を見つめてしまう。
信之は少し歩いてから報告に行こうと思って馬と共に歩いて屋敷をでた。
そんな時だった。
馬上の声の主は、信之を見下ろしている。

「供もつけずにご自分のお立場を」
「説教はごめんだ」

聞く耳を持たないとばかりに断固として拒絶する姿勢を見せる相手に、信之は苦笑する。

「会えました」
「そうか」

馬上の主は、信之とあわせて馬を進める。

「覚悟は変わらぬようです」
「お主も説得する気はあったのか?」
「ないです」

だろうな、と言われて信之も、

「そのようなこと、既にお分かりで幸村と会えるように取り計らってくださったのでしょう?」

秀忠さま。

そう信之が微笑めば、秀忠は信之から顔を反らし、機嫌を損ねたらしい。
ふんっ、と信之の微笑みを振り切るとばかりに、馬を走らせて行ってしまう。慌てて信之も馬に乗り、後を追う。

闇の中、信之は秀忠の背を追う。
目を反らせば暗闇に消えてしまいそうなその背をしっかりと追えば。
それは光にも思えた。
年若い主君は、真田を嫌いつつも、自分を先に照らしてくれる光。

幸村といれば秀忠を思い、秀忠といれば幸村を思う。
光であり、影である対の思い。

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